廃村探訪・・・その6【彦根・武奈町(明幸)】

すっかり涼しくなってしまいましたが、体調崩されたりしていませんか?さてさて、
今回は新たに訪れた廃村の風景をお届けします。



比婆神社がご鎮座する男鬼町から武奈町へ向かう途中に、これまで入ったことのない
廃村「明幸(みょうこう)」が存在します。以前、林道滝谷武奈線を取り上げた際の
記事に、明幸へ至る分岐を取り上げています。よろしければご覧ください。





明幸への道は舗装されておらず、轍の中央は草が伸び放題です。そんなガタガタ道を
谷の方へ大回りで下ってしばらく進むと、古びた倉庫が目に入ってきます。





倉庫はシャッターが半開きの状態になっています。この辺りは真冬になるとかなりの
雪が積もりますが、風雪に耐え今も潰れずに原形を留めています。





倉庫の背後にはどう見ても人為的な遺構が残されています。明幸と武奈・男鬼方面に
向かう林道とを結ぶ車道は大きくカーブを描いているため、この”歩道”でショート
カットしていたのではないでしょうか?





先ほどの倉庫の少し奥ですぐに道が途切れ、奥にさらに2棟の倉庫を確認することが
できます。家屋と思われる建物は廃村化と同時に取り壊されてしまったのか、一棟も
残っていません。





空き地にはかつて分校があったことを示す碑があります。これを見る限り、つい最近
(と言ってももう20年前ですが・・・)まで分校の建物は残っていたということに
なるのでしょうか?





やはりここにも集落の守り神がいらっしゃるようです。ところが、鳥居の奥に社殿が
見当たりません。まさか、比婆神社のように鳥居から延々と参道が続いているという
のでしょうか?そう思い、視線を上にやったそのとき・・・





山の中腹にそれらしき建物が!これに間違いないでしょう。鳥居から少し登れば辿り
着けそうです。足元のヤマヒルに加え周囲の動物も警戒しつつ、鳥居に近づきます。
が、一旦ここで参拝を躊躇します。その理由は後ほど・・・





ここが「明幸」であったことを示す何よりの証拠が、鳥居に彫られています。





鳥居の右側の空き地にも碑が立っています。草で隠れてしまい見えにくいのですが、
妙満寺跡」とあります。妙満寺という寺院がここにあったのでしょう。





一方、こちらは鳥居の左側の空き地の様子です。碑には「谷口家の跡」とあります。
広さを見る限り、谷口さんの家はなかなかの規模だったのではないでしょうか?



さて、私はこれまでに何か所も廃村を探索してきましたが、明幸にはこれまでにない
何か異様な空気を感じました。周囲に人気がなく静まり返っているのはどの廃村にも
共通することなのですが、男鬼町や霊仙と違い明幸には人の手が加わった形跡が一切
なく、真の意味で人間の営みを全く感じることができなかったのです。かつて家屋や
分校があったであろう土地は草が伸び放題で、全てが自然に還ろうとしていました。



それに加えて、明幸は谷沿いの狭い平地に位置するため四方を山林に囲まれ、まるで
山の中に取り残されてしまったような気持ちにさせられます。これらが醸し出す強い
圧迫感のため、私は明幸に着いてからしばらく車の外に出られませんでした。参拝を
躊躇したのもこの圧迫感のためです。



正直鳥居の奥へ踏み込むことも躊躇しました。しかし、ここまで来たのに参拝しない
わけにはいきません。意を決し、まるで登山道のような参道を一気に登ります。





動物、蛇、虻、ヒル・・・周囲に最大限の警戒をしつつ参道を一気に駆け上がると、
動物除けのネットに覆われた小さな社殿が優しく迎えてくれました。「よくここまで
来てくれた・・・」そんな声が聞こえてくるようでした。





神社の名称は分かりませんが、他の廃村と同じように、明幸の神様も元住人の方々に
よって今も大切に守られ続けているようです。きれいに手入れがされています。



本殿の正面で目をつぶり静かに手を合わせると、それまでの圧迫感がスーッと消えて
いくようでした。とても不思議な気持ちになったのを今も覚えています。



明幸を去るとき、本当にここを訪れてよかったと思いました。何だかとても不思議な
体験をしたような気がして・・・また晩秋に訪れたいと思います。



【明幸の地図】

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